おはこんにちこんばんは、かくりよと申す者です。
今回は哲学のいち分野である美学より、模倣論というキーワードについて調べ、それを話題に取り上げた小説「『魔術師』のオデッセイ」執筆の反省を記事を書いていきます。
この記事を書くに至った経緯
わたしが書いた小説「『魔術師』のオデッセイ」にて、美学をあまりにも勉強不足の状態で扱ったことに対する反省を行いたいと考えています。 わたしは2023年2月17日から、創作系個人サイト「黒山羊塔」やピクシブで小説「『魔術師』のオデッセイ」を連載しています。主人公は絵画を学ぶ芸大生であり、小説にも美術史や美学に関係する事柄がそれなりに登場します。その中でも美学を全面に押し出したのが、第5幕「異端審問」前半のシーンでした。「出ない傑作より出る駄作」をモットーに発表したは良いものの、自分自身が美学に対して浅学であったことに自覚的であったことや、ピクシブでの閲覧数は他の章と比べて伸びがイマイチであったことから、この章の読みづらさを実感しました。その原因はいくつか思い当たるところがあるのですが、今回は該当のシーンの多くで扱われている模倣論を取り上げて、それがどのようなものか振り返っていきたいです。
〝模倣論〟とは?
- 〝模倣(ミーメーシス)〟とは、何かが何かを写すこと、誰かが誰かに倣うことを意味します。
- 〝模倣(ミーメーシス)〟が美学・芸術学の分野において特別な概念のひとつになったのは、古代ギリシャの哲学者・プラトンが原因です。
- 〝模倣論〟とは、〝模倣〟を論じる分野です。
〝模倣(ミーメーシス)〟の意味について
〝模倣(ミーメーシス)〟とは、何らかの媒体を用いて、あるモデルを代替する事物・状況を生み出す営みのことを言います。 簡単に言えば、何かが何かを写すこと、誰かが誰かに倣うことです。一般的には単に「物真似」「模造」「コピー」として訳されていたりもしますが、美学や芸術分野の術語としてはこれらは非常に拙劣な表現であるとされています。なぜなら、それらの言葉は現在軽蔑的な意味を含んでいるからです。
〝ミーメーシス(と、その同族語群)〟はおそらく紀元前6世紀頃から見られ、広く使われるようになったのは5世紀頃とされています。 〝ミーメーシス〟の現存する最古の用例とされているのは、デモクリトスの断片、あるいはヘロドトスだそうで、頻繁に使われるようになるには下記にて紹介する古代ギリシャの哲学者・プラトンを登場を待たねばなりません。
また〝模倣(ミーメーシス)〟にはふたつの意味が歴史的に存在しています。 ひとつはフランス古典主義理論において「古代人の模倣」と呼ばれるもので、古典期の芸術家の作品の模倣を指します。もうひとつは「自然の模倣」と言い、自然=本質の模倣のことです。
ちなみに現在の〝創造〟の概念は、18世紀後半の近代的主観主義的立場の人々によって考え出された、新しいものです。 彼らによって、芸術家は模倣するべき規範から解放されて、自らを源泉とした独創的な作品を制作するべきだという思想が生み出されました。芸術的「天才」の誕生です。「天才」の生産的な想像力による作品の創造に価値が認められるようになることで、芸術の理念は〝模倣〟から〝創造〟へと移って行きました。
プラトンの「詩人追放論」
〝模倣(ミーメーシス)〟が美学・芸術学の分野において特別な概念のひとつになったのは、古代ギリシャの哲学者・プラトンが原因です。 プラトンは著書『国家』第10巻において、詩作が〝模倣(ミーメーシス)〟であるという前提に立ち、その営みを徹底的に批判しました。〝模倣(ミーメーシス)〟とは感覚対象などの影像を作る営みなのであり、詩人たちは影像を真実であると人々を騙して、論理的に堕落させていると主張したのです。これが世に言うプラトンの「詩人追放論」です。
「詩人追放論」と言ってはいますが、プラトンの主張は詩作のみならず、より広い芸術的活動にも適用されうるものです。 なぜなら〝模倣(ミーメーシス)〟とは詩作のみならず、演劇や絵画制作、造形、ダンス、楽器の演奏など、現代人が「芸術」と呼ぶものの基本を成す概念だからです。だからこそ、プラトンの「詩人追放論」は詩作だけでなく、芸術論としても扱われ、西洋の芸術思想史では必ずと言って良い程言及されます。
こうした〝模倣(ミーメーシス)〟について論じる分野が、〝模倣論〟なのです。
該当のシーンの何がいけなかったのか?
- そもそも〝模倣論〟への理解不足があった
- ヴィンケルマン『ギリシア芸術模倣論』を誤読していた
〝模倣論〟への理解不足
わたしは美学や模倣論について、大学の講義で少し触れただけでした。 初めて美学に触れたのは、大学で『西洋美術の歴史と理論』について学んだ時です。その時は学問としての「美学」があることも知らない状態でした。また、その講義ではプラトンの「詩人追放論」や模倣論についても学ぶ機会があったのですが、講義自体で触れることはなく、詳細は各自でテキストを読み込む感じだったので、面倒くさがりなわたしは肝心な部分をスルーしてしまったのでした。
また、小説「『魔術師』のオデッセイ」を執筆するにあたって、ろくに勉強し直さず、うろ覚えの状態で臨んでしまいました。 せっかく上記の講義を受けたのですから、その教科書を読み直すくらいしても良かったと思うのですが、それすら忘れていました。最近は芸術や哲学としての美学を取り上げている新書も多く出版されているので、それらをいくつか拝読しましたが、肝心の模倣論についてはプラトンなどの哲学者や歴史的な経緯に沿って解説している新書はありませんでした。
ヴィンケルマン『ギリシア芸術模倣論』を誤読していた
ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンとは、「古代ギリシャ人を再発見した」と言われている人物です。 「高貴なる単純と静謐なる偉大」が芸術の神髄だと主張したことで有名、らしいです[^わたしは岩波文庫で出版された、田邊玲子:訳の『ギリシア芸術模倣論』で彼を初めて知りました]。彼自身は、プロイセンのアルトマルク地方にあるハンザ都市・シュテンダールで1717年12月9日に生まれた、所謂ドイツ人です。苦学ながらもラテン語とギリシャ語の文学で頭角を現し、アルトマルクのハンザ都市・ゼーハウゼンのラテン語学校の副校長や、ドレスデン近郊にあるネートニッツ城のビューナウ伯爵蔵書図書館の司書を歴任します。その後ドレスデンに移住し、芸術に対する造詣を深め、1755年5月に『絵画と彫刻におけるギリシア芸術模倣論』を出版するに至ります。
わたしはヴィンケルマンの『ギリシア芸術模倣論』を読み、古代ギリシャ人をあまりにも賛美し過ぎている様子に、「ヴィンケルマンは古代ギリシャを理想化し過ぎているのではないか?」と解釈しました。 実際、理想化されたギリシャのイメージは強い影響力を持ってしまったようです。例えばギリシャがヨーロッパの源流とされたことにより、ヨーロッパ白人男性を「人間」の基準とするヨーロッパ至上主義に波及し、優生思想や人種差別の基準に使われたりもしました。小説「『魔術師』のオデッセイ」の舞台であるナポレオン戦争期ヨーロッパでは、ヴィンケルマンの提示した「芸術の反映は政治的自由と密接に関連する」という古代ギリシャ観が、フランスの文化的優越を示すために利用され、征服した土地から美術品を略奪することへの正当化に用いられました。
しかしヴィンケルマンの意図は古代ギリシャを理想化し、差別を正当化することではなく、「自然の模倣」を補うものとして「古代人の模倣」を推奨する、というだけのものだったはずです。 上記の通り、「自然の模倣」は自然=本質の模倣、「古代人の模倣」は古典期の大芸術家の作品を模倣することです。ヴィンケルマンは古代人に倣って制作の手法を習得し、本質を上手く捉えて描けるようになろう、という主張をしたかっただけのはずです。わたしは彼の著書の内容を拡大解釈し、勝手に主張を誤って理解していたのでした。
小括
今回の反省を踏まえて、小説の加筆修正の際に心掛けたいことをまとめてみます。
- 取り上げようと思う話題に関する資料を読み込んでおく
- 多数の方向からの資料を読み、誤読を防ぐ
取り上げようと思う話題に関する資料を読み込んでおく
取り上げたいと考える一方で勉強不足だと思う話題に関しては、自信が付くまで読み込むことが重要だと感じました。 勿論「出ない傑作より出る駄作」、資料を読み込み過ぎて歯止めが効かなくなるよりかは、作品を完成させるほうが優先順位が高いのは事実です。ですが今回の場合は、勉強不足が過ぎて完成させる以前の問題でした。
まずは「ブログにまとめられる程度に読み込むこと」を目標に、取り上げたい話題に対して調査・取材することを心掛けたいです。 何故「ブログにまとめられる程度」なのかは、理由がふたつあります。ひとつは、「『アウトプット前提』でインプットをすると、記憶に残りやすくなるから」です。アウトプットを前提にすると、心理的プレッシャーがかかることで緊張状態になり、集中力や記憶力、思考力、判断力が高まる効果を持つノルアドレナリンが分泌されるのだそうです。ふたつめの理由は、「ブログで紹介する体にすると論理的に文章にまとめることになるから」です。小説にすることも立派なアウトプットだと考えていますが、読んで楽しむことが目的の小説は論理的に情報を整理・構成することが、あまり求められません。ブログで情報を紹介する形にすることで、情報を整理・構成してデータにも記憶にも残るように出来るのです。
多数の方向からの資料を読み、誤読を防ぐ
誤読を防ぐには多数の方向からの資料を読むことが有効だと感じました。 今回の模倣論のような難しい概念を学習する時、著者・翻訳者の表現によって分かりやすさに差が出るので、多数の資料を読むことで理解しやすくなります。また、ある人物について調べようとする時、時代背景や著者の立場によって評価に差が出るのはよくあることです。これは重要な判断をしなくてはならない時もそうで、ある情報に対して賛成意見と反対意見、中立的な意見を満遍なく知ることによって、その情報の良い点と悪い点を分かりやすく偏りなく理解することが出来るのです。
終わりに
今回わたしが取り上げた小説「『魔術師』のオデッセイ」第5幕「異端審問」の該当のシーンを読んでいただくと分かると思いますが、このシーンにはまだわたしの理解が追い付いていない用語や概念がたくさんあります。これからも引き続きそれらについて勉強していきたいと思います。
参考書籍
- 青山昌文『西洋美術の歴史と理論』放送大学教育振興会
- 美学会『美学の事典』丸善出版
- ヴィンケルマン:著/田邊玲子:訳『ギリシア芸術模倣論』岩波文庫
- 田中一孝『プラトンとミーメーシス』京都大学学術出版会
- 倉島保美『論理が伝わる 世界標準の「書く技術」』講談社ブルーバックス
- 樺沢紫苑『学び効率が最大化する インプット大全』サンクチュアリ出版
